世界中で「AI人材不足」が叫ばれている。

中国テンセントが推計するところでは、世界のAI人材需要は数百万に上るが、供給は30万人ほどにとどまるという。

デロイトが、AI施策を実施する各国企業のIT部門幹部を対象に行った調査では、68%がAIスキルギャップを問題視していることが明らかになっている。

AI人材不足を示唆する調査・レポートは枚挙にいとまがない。

こうした中、マイクロソフト、アップル、フェイスブック、アマゾンなどテクノロジー大手のAI人獲得競争も激化しており、AIトップ人材を見つけるのは非常に難しい状況といわれている。

AI人材獲得競争の激化を示す最たる例として挙げられるのが、グーグルによるディープマインド社の買収だろう。英国ロンドン発のAI開発スタートアップであるディープマインド。日本では囲碁AI「アルファ碁」を開発した企業として知られている。

2010年ロンドンで設立され、2014年にグーグルが4億ポンド(約540億円)で買収。欧州におけるグーグルの買収では、史上最高額になったとして注目を集めた。グーグルだけでなく、フェイスブックも興味を示し、買収交渉を行っていたと報じられている。

ディープマインドがこれほど高い注目を集めるのは、同社共同創業者の1人デミス・ハサビス氏の存在があるからだろう。起業家であるとともに、AI研究者としての顔も持っているのだが、研究者としてのカリスマ性と求心力が強く、世界中のAI人材の憧れの的になっているのだ。

ディープマインド共同創業者の1人デミス・ハサビス氏

一般的にAI人材の獲得が難しいといわれるが、ディープマインドはハサビス氏のブランド力によって世界中から優秀なAI人材が集まるようになっているのだ。

日進月歩で目まぐるしく変わるAIの世界。その最新動向を知る上で、キープレイヤーであるディープマインドの動きは一見に値するはずだ。今回は、ディープマインドとはどのような組織なのか、ハサビス氏のビジョン・思考などから、その実態を探ってみたい。

ディープマインドをつくった天才の生い立ち

ディープマインドは「汎用人工知能(artificial general intelligence=AGI)」の開発を目指し設立されたスタートアップだ。

汎用人工知能とは、人間がこなすあらゆるタスクを学習・理解し、実行する能力を持つAIのこと。現在、広く普及するAIは、画像認識や音声認識など特定のタスクのみを範疇としており「弱いAI」といわれている。一方、汎用人工知能は幅広いタスクをこなす能力を持ち「強いAI」とも呼ばれている。

AI研究における大きなゴールの1つといわれており、ディープマインドだけでなく、世界中の大学、研究機関、企業による研究が進められている。

AGI研究にはさまざまなアプローチが存在するが、ディープマインドが注力するのがゲームを通じたAI開発だ。アルファ碁はまさにその一環で進められてきたプロジェクトとなる。

ディープマインドがこのようなアプローチに注力するのは、ハサビス氏の生い立ちに深い関わりがあるようだ。

1976年ロンドンで生まれたハサビス氏。父親はギリシャ系キプロス人、母親は中国系シンガポール人。ハサビス氏の名が広く知れ渡るのは、同氏が13歳のとき。チェスの強さを示すイロレーティングで超上級者の域である2300点を叩き出し、「チェスの神童」として注目されるようになったのだ。

チェスではイロレーティングという指数を用いてプレイヤーの実力を数値化。目安としては、初級者が1200〜1400点、中級者が1400〜1800点、上級者が1800〜2000点となっている。2000点以上は超上級者の領域となるが、ハサビス氏は13歳でこの領域に達したことになる。

チェスだけでなく、勉強もでき、英国の高校過程を2年繰り上げて修了している。天才といわれたハサビス氏、そのまま大学に進学すると思われたが、高校課程修了後はゲーム開発会社Bullfrog Productionに入社。後に大ヒットなった箱庭ゲーム「テーマパーク」のデザインとプログラミングを担当。このとき若干17歳である。

その後すぐケンブリッジ大学のコンピュータサイエンス学部に入学。学内で行われていたチェスやポーカーなどのボードゲーム大会に参加し、多くの勝利をさらっていったとされる。このとき偶然目にしたのが囲碁の大会だ。プレイしたことがないにもかかわらず、初級者部門で勝利すると、一気に経験者部門で勝利するまでになったという。

この頃から、ハサビス氏の「知能」への関心が急速に高まっていくことになる。

1997年に大学を卒業。Bullfrog時代に影響を受けたゲーム界の第一人者ピーター・モリニュー氏が設立したゲームスタジオ、ライオンヘッド・スタジオに参画。ヒット作となったゲーム「ブラック&ホワイト」のリードAIプログラマーに抜擢された。

同年ハサビス氏は日本に足を運び、数学者の藤原正彦氏に会い囲碁AIの構想について語っている。藤原氏著「管見妄語 知れば知るほど」に当時のことが描かれている。当時ハサビス氏は21歳。このときすでにアルファ碁につながる構想を持っていたことになる。

1998年にはライオンヘッド・スタジオを辞め、自身でゲーム開発会社エリクサーを設立。60人ほどの規模まで拡大するも、2005年に閉鎖している。 自身が目指すAIの開発には人間の脳の理解が必要であると考え、UCL(University College London)の認知神経学博士号の取得に専念するためだ。

2009年に博士号を取得。その後UCLのギャッツビー・コンピュータ・認知神経科学ユニットで研究を続けたほか、MITやハーバード大などとの共同研究を行っている。ハサビス氏が脳研究で常に追い求めていた問題は、人間の脳がいかにして知識を得て、それを記憶に変えているのかということだ。

同氏が博士課程で執筆した海馬と記憶に関する論文「Patients with hippocampal amnesia cannot imagine new experiences」は、学術分野で1100回以上引用されており、認知神経科学分野における貢献度をうかがうことができる。

人工知能分野で世界最高峰の研究機関の1つと目されるギャッツビー・コンピュータ・認知神経科学ユニット

このUCLで出会った研究者らと2010年に立ち上げたのがディープマインドだ。ミッションは「solve intelligence」。人間の知能を解明し、それをソフトウェアに組み込み、自ら問題を解決していく汎用人工知能を開発すること。これによって地球上のさまざまな問題が解決できると考えられている。

Economist誌によると、ディープマインドはグーグルに買収され同社傘下になったが、研究アジェンダや研究指揮権は依然ハサビス氏が有しているという。ディープマインドに集まるAI人材はハサビス氏のビジョンに共感し、多くの社員が同氏に親近感を抱いており、このロイヤルティがディープマインドの最大の強みになっているというのだ。

ディープマインドはロンドンを本拠地としながらも、そのネットワークを拡大。現在、米国、フランス、カナダに研究開発拠点を構えている。2017年カナダ・エドモントンオフィスに、AI分野の権威の1人であるリチャード・サットン教授が参画したことで、AI人材の求心力は一層強まったことが想定される。

優秀なAI人材を惹き付け続けるディープマインド。2016年にアルファ碁で世界を驚かせたが、今後はより強烈なインパクトをもたらすことになるかもしれない。

文:細谷元(Livit