ヨーロッパを制した「ヒゲの美女」

ヨーロッパでは毎年春に、「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」という歌のコンテストがある。ありていに言えば「ヨーロッパで最もいい歌を決める歌謡祭」で、過去にはABBAやセリーヌ・ディオンなどを輩出した伝統の一大イベントである。

筆者がオランダに来て初めて観た2014年の大会はとんだ「神回」だった。

オランダ代表の心にしみるカントリーバラードが優勝候補と目されていたのだが、ふたを開けてみたら母国オーストリア国内外からのすさまじい賛否両論をくぐり抜けて出場した同性愛者のドラッグクイーンシンガー、コンチータ・ヴルスト氏が圧巻としか言いようのないパフォーマンスを披露し、他36国の代表に圧倒的な大差をつけて優勝したのだ。


コンチータ・ヴルスト氏(公式Youtube動画より)

出場前、彼女の下馬評はさんざんだった。

オーストリアの保守政党の党首は彼女が代表に選出された時点で「自分が男か女かも分からないようなやつは、歌のコンテストではなく精神病院に行くべきだ」などと発言していたし、Facebookで立ち上げられた彼女の代表選出に抗議するページは、約4万人の「いいね」を集めていた。

それが当日、立派な髭とゴージャスなドレスに身を包んだ彼女が波乱万丈だった自身の人生から絞り出したかのような”Rise Like a Phoenix(不死鳥のように立ち上がれ)”という壮大なバラードを歌い上げると会場の空気は一変。

先述の通り圧勝をおさめた彼女は、その前年に同性愛宣伝禁止法を成立させていたロシアのプーチン大統領に向け「私たちはもう止められない」と宣言したが、それを受けてロシア自由民主党の党首のウラジーミル・ジリノフスキー氏は「ヨーロッパは終わりだ。もはや男も女もない」と怒りをあらわにし、他の保守的な政治家もそれに続いた。

リベラルな政治家や知識人は概ね祝福ムードだったがやはりこの一件はセンセーションで、ジェンダーの多様性に寛容なオランダですら次の日の各新聞は一面「ヨーロッパ、ヒゲ女を愛す」「ヒゲの美女、ユーロビジョンを制す」と大騒ぎだったことを覚えている。

それから5年が経った今、ヴルスト氏もジリノフスキー氏もどうやら(ある意味)正しかったように思える。「ジェンダー・ニュートラル(性的中立性)」のコンセプトは急速に世界に波及し、ファッションにおいても大きなトレンドとなりつつあるのだ。

そもそも「ジェンダー・ニュートラル」とは

近年、LGBTQ+などジェンダーの多様化への認識が広まるにつれ定義や用語がどんどん増していく中、「ジェンダー・ニュートラル」という価値観がその複雑さを一掃する分かりやすい考え方として支持を得ている。

「ジェンダー・フルイディティ(性的流動性)」や「ジェンダーレス(性別をないものと考えること)」など微妙に定義が違う同様の呼び方もあるが、共通するのは「伝統的な二者択一の性別(と、それに基づいた性的指向)に囚われない」考え方であるということ。そもそも性別を「男・女」と二分することに疑問を呈する考え方だ。

国連も男女差別撤廃の流れを受けて1997年からジェンダー平等の取組みを推進しており、「男性と女性を区別し、それぞれの扱い方を変えることは間違っている」というメッセージを発している。

それが徐々に性的マイノリティに関する啓蒙も包括するようになり、パスポートの性別欄に「不確定」「第三の性」の記載を認める国が増えたほか、トイレや公共施設でも男女の区別なく誰でも使える場所が増加している。

教育分野においても主に欧米諸国でジェンダー・ニュートラリティへの取り組みが始まっており、日本でも昨年千葉県の中学が、セクシャルマイノリティの生徒への配慮として男女ともにスラックスとスカート、ネクタイとリボンから自由に組み合わせを選べる制服を採用して話題になった。

ビジネスにおいて「ジェンダー・ニュートラル」が重要化する背景

そもそもこの「ジェンダー・ニュートラル」の考え方が必須となりつつある背景は、政治的にはもちろんセクシャルマイノリティの人権問題があるが、ビジネス的には新しい世代の価値観の変化によるところが大きい。

今後購買層の中心となっていくミレニアル・Z世代においては「性別」がアイデンティティを決定する要因として弱く、また伝統的に考えられている性別の役割に固執することなくそれぞれが異なる解釈を持っているという。

従来のように「男用の商品を男に、女用のサービスを女に」といったビジネスモデルが通用しなくなると見越したブランドがいち早くそれに対応した結果として、各業界にジェンダーニュートラリティの波が押し寄せているのだ。

日本では電通ダイバーシティ・ラボが2015年に実施した調査で、国内では人口の7.6%(約950万人)がLGBTに該当し、その市場規模は5.9兆円に相当することが明らかになっており、その層を意識したマーケティングの必要性も認識され始めている。

ファッション界を席巻する「ジェンダー・ニュートラル」

米大手女性向けライフスタイルサイトThe Listは、“Huge fashion trends you need to know in 2019”と題した記事で、2019年におさえておくべき10の重要なファッショントレンドをまとめ、そのトップに「ジェンダーレスファッション」を挙げている。

ファッションの専門家たちは「両性的なファッションがどんどんランウェイに増えてきている」ことに気づき、「2019年は男性用ファッションと女性用ファッション間の垣根がもっと消えていく」と目しているという。

NYで開催された2019年春コレクションでは人気ブランドTibiがそのラインのほとんどをジェンダーニュートラルなデザインで埋めたほか、ルイ・ヴィトンやヴァレンチノといった老舗ブランドも2019年春夏にむけてジェンダーレスな方向性を打ち出している。

英Vogueのファッション評論家 Anders Christian Madsenは「ファッション業界は性別を規定する服を駆除しようとしているか」と題した記事で、2019年春夏に向けたショーでルイ・ヴィトンやジバンシィといったビッグブランドがトランスジェンダーのモデルを起用したり、あえてモデルと服のジェンダーを曖昧にしたり、服とモデルの性別を入れ替えたりすることで性別の壁を取り払う姿勢を見せていたこと、女性セレブのスタイリングで有名だったVirgil Abloh氏を男性用デザイナーに起用したこと、またデザイナーのジョン・ガリアーノ氏が自身初のフレグランスでジェンダーレスなコンセプトを打ち出していることなどを挙げ、「ファッションにおいてはもう全て出尽くしたと思われがちだが、いま私たちは大きな『地盤振動』に直面している」と、今までになかったファッション業界全体のジェンダーレス化を指摘している。


ルイ・ヴィトン女性モデル(VOGUE公式サイトより)

ちなみにルイ・ヴィトンは2016年のキャンペーンに、ジェンダー・ニュートラルファッションのアイコン的存在、米俳優ウィル・スミス氏の息子のジェイデン・スミス氏をウーマンズウェアのモデルとして起用している。

「(ラッパーの)タイラー・ザ・クリエイター、バットマン、ポセイドンをファッションのお手本にしている」という彼は現在20歳。Z世代の真ん中に強く訴える形だ。

ランウェイを彩るハイファッション以外にも、日々のワードローブにジェンダーニュートラルな服を提供するブランドが増えている。

セリーヌ・ディオンは独自のジェンダー・ニュートラルな子ども服をプロデュース

カナダ人歌手のセリーヌ・ディオンは昨年末から、自身のお気に入りだというイスラエルの子ども服ブランド「Nununu」とのコラボレーションでジェンダー・ニュートラルな子ども服ライン「Celinununu」をプロデュースしている。

スカル、ストライプ、星、アルファベットなどの柄と、黒、グレー、ソフトピンクや明るいイエローなどの色の組み合わせで約70のアイテムがあり、どれも男女問わず似合うデザインとなっている。

ラインのローンチにあたってはディオン氏自身が出演するコメディCMがリリースされた。

彼女が「彼らが道筋を自分で選ぶべき」などと語りながら病院の新生児室に忍び込んで、女の子はピンク、男の子は水色のおくるみに包まれている赤ちゃんたちに黒いグリッターを吹き付けると皆Celinununuのジェンダー・ニュートラルなファッションに替わるが、彼女は不法侵入で警察に捕まるというストーリー。

黒っぽい色使いやゴシック調のテイスト、性別を否定するようなコンセプトにカトリックの牧師から「悪魔的だ」という批判も受けたが、彼女は「私たちは、子どもたちがステレオタイプに従う必要はないと伝えるために他の選択肢を提供しているだけ」と応えている。

文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit