「仕事のストレス」が少ないオランダ人

筆者が現在暮らすオランダは、「ワークライフバランス世界一」(OECD・2019)の国だ。人生における仕事のプライオリティが低く、プライベートが優先で、年間の平均労働時間の長さはOECD66か国中で63位と短い(日本は43位)。

その一方で徹底した合理主義の結果か、一人当たりのGDPは世界15位(日本は28位)と高パフォーマンスを誇っており、自殺率も日本の3分の1程度だ。

ちなみに同国で自殺率が最も高い季節は秋だ(画像:freepik)

同国に住み始めて7年、いまだにいち消費者としては労働者のワークライフバランスの裏返しである、あてにならないサービスや製品に憤慨することも多々あるが、労働者としては「仕事のストレスが少ない」点がとても気に入っている。

背景はもちろん様々ある。先述のように仕事があくまで「生活費を稼ぐための手段である」という価値観も大きいだろう。人に会社への忠誠や献身など期待しないし、職業が人生を規定する度合いも小さい。

労働法やユニオンの権力が徹底しており、被雇用者の立場が強いといった、法的・社会システム的な要因も無視できない。一時的にドロップアウトした際の福祉も充実している。

また、子どもの頃から忍耐よりも自己決定を教え込まれて育つので、「仕方ないから」といった消極的な理由ではなく、「お金が欲しいから」「好きな分野だから」などと今の仕事を続けたい積極的な理由がある(なければ転職する)という心理的な要因も無視できない。

諸々相まって、同国からは「世界一幸福(UNICEF・2020)」と評された子どもだけではなく、大人の幸福度も世界5位(UN・2020)にランクインしている。

仕事ストレスが少ない要因は多様すぎて特定は難しい。しかし確実にそこにあるのは、彼らが私たち日本人よりもずっと精神的負担の少ない労働生活を送り、プライベートを楽しんでいるわりに、一人当たりに換算するとより高いパフォーマンスを出しているという納得のいかない事実。

日本人として腑に落ちない思いの筆者は、彼らがいかにして要領よく仕事をし、人生を楽しめる大人になるのか、彼らのワーキングスタイルを観察することにした。今回はその中から彼らのキャリア選択に注目する。

のびのび育つ「世界一幸福な子ども」はいかにして職業を選択していくのか

とはいえ彼らも、子どもの頃は先述のように忍耐も諦めも重視されない教育の中でのびのび育っている普通の子どもたちだ。

最近の家族向けメディアによる調査によれば、23%の子どもが「将来の夢はまだわからない」と答え、女子の人気の夢は1位から順に教師、医師、会社経営。男子は1位が安定のサッカー選手、次いで建築士、IT関係が人気で、4番目に急上昇中のYouTuber系がランクインしている。特段将来の見通しがついている様子も見られない。

むしろ23%が「分からない」と言える素直さが大事?(画像:freepik)

しかしドイツに近い学校システムにおいて、12歳で小学校を卒業した子どもたちは中学進学の時点で、本人の能力に合わせて分かりやすく言って「職業訓練校コース」「職業大学コース」「アカデミック大学コース」の3コースに振り分けられる。もちろんある程度のフレキシビリティはあるが、12歳の時点である程度人生のキャリアが決まるという点は人によっては苛酷に感じるかもしれない。

一方振り返って、経済の転換点に立って久しい私たち日本人にとっても、キャリアの選び方はまだまだ個々人が模索する必要に迫られている。「より良い成績をおさめ、より良い大学に行き、より良い社会的ポストに就く」という従来の社会的成功・幸福のモデルはとっくに崩れた印象もあるが、それに代わる方法が確立しているかは疑問だ。

そこで今回は就職活動もなく「働き上手・休み上手」なオランダから、ごく普通の(ただし仕事に満足している)人3人に話を聞いてまとめた。

質問は主に「子ども時代の夢」と「それをどのように現在のキャリアに落とし込んでいったか(もしくは全く違うキャリアへの興味をどう見つけたか)」、そして「その後キャリアがどうなったか」だ。

1人目:夢を叶えたアニメーター

Wijnand Driessen氏(30代後半男性・アニメーター兼美術監督)

Q:子ども時代の夢は?

A:クリエイターでした。いつも何か描き、創っている子どもで、テーマパークと映画が大好きでした。現実から逃れて秘密の世界に逃げ込める感覚が好きだった。でもそれを楽しむだけでは飽き足らず、いつも自分でもその世界を作ろうとしていました。ものづくりのドキュメンタリーを見るたびに、それを仕事にしている人たちへの嫉妬でどうしようもない気分になったものです。

郷愁をそそる同氏の背景作品「日本の居酒屋通り」(画像:本人提供)

Q:どのようにキャリアを選択しましたか?

A:子どもの頃から、興味を1つのジャンルに絞り込むことが困難でした。絵画、彫刻、動画作成、模型作りなど。専門教育を選ぶときにそれら全てへの興味を活かせるかと思い、工業デザインを専攻したのですが、やがて自分がやりたいのは「製品のデザイン」ではなく、同様にそれらを全て活かした映画関係の作品作りだと気づき、20代で幼馴染とともにアニメーションスタジオ「Matte! Nande?」を立ち上げました。

市場の開拓から全て自分の手でやる必要がありましたが、収入を保つため各方面に小さな作品を提供しながら、自分たちの短編映画をコツコツと作りました。いつか使う機会が来るのかと不安を抱きながら、職人のように背景描画のスキルを磨いてもいきました。その間ずっとインスピレーションをくれたのは日本のアニメ映画、特にその背景だったので、『若おかみは小学生』という日本のアニメ映画の制作に関わることができた時は本当に嬉しかったです。

Wijnand Driessen氏(本人提供)

Q:今は何の仕事をしていますか?

A:そのスタジオが軌道に乗り、忙しくしています。基本的に子どものころとやっていることは同じです。観る人が一瞬でも浮世を忘れて、違う世界を楽しむための作品を作っている。

現時点では、Amazon Primeオリジナルの『Undone』というシリーズの背景を担当しています。1年に渡り毎日毎日、大好きな背景を描いて過ごせるのは夢のようです。子どもの頃の私が知ったら大興奮でしょうね。まさか絵を描くことを仕事にできるなんて思いませんでしたし、大人も「無理だ」と言うので。というか、数年前の自分でも、このキャリアが安定することは予想できなかったでしょう。

Q:今後のプランはありますか。

A:ちょうど今、人生の分岐点のように感じます。アニメ以外の分野とのコラボレーションもしたいし、来年展示会を開くために、絵画作成にも力を入れています。でもやっぱりここ数年の一番の夢は、ずっとインスピレーションの源であり、何度も訪れた日本で何かプロジェクトをすることです。

(画像:本人提供)

2人目:銀行勤務SE・海外移住を経てストレスの少ない会社員に

B氏(40代男性・会社員)

Q:子ども時代の夢は?

A:ジャーナリストでした。知人に新聞記者がいて、なんとなくかっこいいと思ったのです。

Q:どのようにキャリアを選択しましたか?

A:中等教育に進む頃にはもうその夢はすっかり忘れて、ゲームやPCが大好きでしたので、よく考えもせずITの専門学校へ進学しました。単位を取るために必要だったのでインターンシップを探したところ、地元の警察署でSEのインターンのポストを見つけ、卒業後は誘われてそのまま就職しました。

Q:現在、何の仕事をしていますか。

A:会社員で、仕入れや商品開発も含めた在庫管理を広く担当しています。

先ほどお話した警察署での就職後すぐに、もっと条件のいい大手銀行でのSE職に転職しました。が、銀行での専門職は安定しすぎていて、5年勤務したところで先が見えてしまった。このまま変化のない人生を送るのが怖くなり、銀行を辞めて何のあてもなく大好きだった日本に移住しました。

紆余曲折を経てその8年後に仕方なくオランダに帰ってきましたが、その頃は就職難で、日本にいた時のブランクもあり、元の職には戻れなかった。就職には苦労しましたが、旧友がSNS経由で声をかけてくれた現在の会社に就職しました。

今の仕事はペイも責任も「そこそこ」、規模の大きすぎない職場なので、色々な種類の仕事をさせてもらえて飽きない。昨年、同業他社からヘッドハンティングの話もありましたが、今は子育てにもエネルギーを割きたいし、これ以上の責任や期待を負うと家庭とのバランスを保てるか読めなかったので断りました。

仕事は結局人生とのバランスと優先順位の問題で、「ストレスなく継続できる」「退屈しない」という条件は今の私にとってお金やステータスより大切です。

「気楽なサラリーマン」はあまり日本では見ないが(画像:freepik)

Q:今後のプランはありますか。

A:特にありません。居心地に変化がない限りは今のままでしょうね。

3人目:アパシー状態から30年かけて「安住の職場」に落ち着いたベビーブーマー

C氏(70代男性・元商業デザイナー)

Q:子ども時代の夢は?

A:特にありませんでした。学校の勉強は好きなものは得意でしたが、幾何や代数など使い途の分からない教科は一切手を付けませんでした。父は自身が船舶技師だったこともあり、私に工学系技術を身に着けてほしいと思っていたようですが、ピンと来ませんでした。

Q:どのようにキャリアを選択しましたか。

A:中等教育修了後も、まだ自分が何の仕事をすべきか、全く、本当に分かりませんでした。

しかもベビーブーマーだった私が10代だった頃には、様々な方面からそれまでの価値観のディスラプションが起こり、多くの人が当然のように親の仕事を継いでいた時代から、アイデンティティもキャリアも自分で探さねばならない時代になりました。

両親は困って私を適性診断に連れて行ったのですが、そこで私はクリエイティブな分野にしか適性がないことがはっきりと分かりました。私に技術系のキャリアを期待していた父もここで諦めたようです。

クリエイティブ系ならなんでもいいやと職を探していたところ、隣町のデパートでショーウィンドウのデザイナー見習いを募集しているのを見つけました。やってみると悪くなく、ただし専門知識がないと生活できるほどには稼げないことに気づいたので、契約終了後デザイン系の専門学校に進学しました。

卒業後すぐに2年間兵役をつとめ(筆者注:オランダには1996年まで徴兵制があった)、帰って来てから募集を見つけた地元近くのデパートのデコレーション・内装デザイナーとして就職しました。

Q:その後キャリアはどう進んでいきましたか?

A:上司との意見の不一致やデパートの閉店、合併などにより、4つの職場を経験しましたが、最後に職を得たドイツの陶器ブランド・Rosenthalでは定年まで素晴らしい12年間を過ごしました。

「外国人」だったので昇進は見込めませんでしたが、伝統と新しいインスピレーションに溢れた製品をより魅力的に見せるのが楽しくて、ベネルクスやドイツ中を飛び回り、ブランドのイベント会場や店舗をデザインしていきました。

伝統とモダンが融合するRosenthalの陶器(公式サイトより)

悔いがあるとすれば、3人の息子の子ども時代とRosenthalで仕事を始めた時期が重なって、平日はあまり家族と過ごせなかったことです。でも退職後を彩ってくれているアートへの関心が培われたのもその時期だったので、やはり愛着のある仕事です。

キーワードはやはり「人生とのバランス」「自分にとっての条件」か

年代も職種もバラバラな3人のキャリア選択をまとめてみたが、どう思われただろうか。

筆者はやはり、3人に共通するのは「人生とのバランス」と、「自分にとっての選択理由」にぶれがないことであるように感じた。筆者を含め、男女問わず日本の会社員でB氏のように「家庭に割くエネルギーを減らしたくないからこれ以上のステップアップはいらない」と迷いなく言い切れる人は多くいないのではないだろうか。

今回はたまたま全員男性だったが、同国においてもやはりキャリア選択が結婚や子育ての影響を男性より受けやすい女性にも、いつか話を聞いてみたいと思う。

取材・文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit